FRANK’S BARBER&BEER CLUB 日比谷店
東京都千代田区有楽町1丁目9-1 日比谷サンケイビル B2F
TEL 03-6206-3231ご予約優先制
今日は日本の【床屋の歴史】について話したいと思います!
みなさん、床屋さんは一体いつごろからあるのか考えたことはありますか? なんと約800年前からあるといわれています。西暦で言うと1200年代(鎌倉時代)です。 例えるなら、ひいひいひいひいひいひいひいばぁちゃんが生きていた頃くらいですね。
その頃の髪型と言えば、侍の髪型を思い浮かべてください 時代劇でもお馴染みの『月代(さかやき)』が登場します。 前頭部から頭頂部にかけて頭髪を剃り上げたスタイルです。 もともとは、貴族が冠や烏帽子をかぶる時に頭が蒸れるので、額の髪を半月の形に剃ったことが始まりとも言われています。
ですが、剃るというより毛抜きで髪の毛を抜いていたようで、血が出ることもあったそうです。とても痛いですよねもちろん僕ははしたことないですが
そして江戸時代に入って、さまざまの髷(まげ)形を生んだ。しかし明治に入って、1871年(明治4)の散髪令により、月代の風習は廃れていったそうです。
中世ヨーロッパまで遡り、当時の外科の治療法のひとつ「瀉血(しゃけつ)」の手術で使用されていた赤い棒からきています。利用外科医の棒と呼ばれていたその赤い棒は手術後に、白い包帯と一緒にお店の軒先に干していましたが、風が吹いた際に包帯が赤い棒に巻きつき、その姿がサインポールの原形になっているといわれています。
17世紀以降に外科医と理容師が区別されるようになった際に使用師は青、外科医は赤白の色分けがされ、理容室の看板として使われるサインポールは赤・白・青の3色になったという訳です。
それでは少し飛んで昭和の床屋を見てみましょう!
昭和10年(1935年)頃「パーマネント・ウェーブ」の普及に伴い、ウェーブスタイルが大流行しました。
あの有名女優マリリンモンローの髪型が流行り当初のパーマは「電髪」と言われ加熱機器を用いたものでしたが、昭和24年(1949)年にはコールドパーマも始まっています。
昭和時代は期間が長いこともあり、さまざまなヘアスタイルの流行が生まれました。
昭和初期は大正に出現した「断髪」がさらに流行します。そして昭和10年(1935年)頃「パーマネント・ウェーブ」の普及に伴い、ウェーブスタイルが大流行しました。当初のパーマは「電髪」と言われ加熱機器を用いたものでしたが、昭和24年(1949)年にはコールドパーマも始まっています。
1940年代(昭和15年~)はマリリン・モンローなど海外の女優が人気を博していました。それに倣って前髪を大きくカールさせてアップしたウェーブスタイルがモダンとされ、おしゃれな女性はこぞってウェーブヘアになりました。
昭和29年(1954年)にはオードリー・ヘプバーンへの憧れから、ヘプバーンカットが大流行します。前髪が短いストレート、横は後ろに流すショートヘアで、初めてのショートヘアの流行でした。
その後昭和33年(1958年)に映画「悲しみよこんにちは」が放映されると、ジーン・セバーグの当時としてはかなり短いショートスタイルが「セシルカット」として流行します。
1960年(昭和35年~)にもショートの流行が続きます。イギリスのモデルツィギーのヘアスタイルをまねて、前髪を横に分けた「ツイッギーカット」や前田美波里さんがしていた、ショートスタイルにパーマをかけてもみあげをCカールにした「キスカール」が大流行しました。ちなみにツィッギーのショートスタイルはヴィダルサスーンがカットしたことでも有名です。今見てもシャープでスタイリッシュなヘアスタイルです。
オードリーヘップバーンで思い出したのですが、1953年の映画【ローマの休日】という映画の主人公のオードリーは映画の本番中にノーカットで散髪をするシーンがあり当時の人々に大きな影響を与えました。
1985年-1991年の間に起った【バブル】
その時代の髪型を見ていきましょう!
左はワンレンで、右はソバージュです!懐かしのW浅野もワンレンをしてましたね 今は絶滅してきていそうなソバージュもこの時代はたくさん見かけましたね!おっと僕はその時代生まれてもなかっただすね。
こんな感じで時代は今まで流れてきました このあたりで終了したいと思います!
今日は日本の【床屋の歴史】について話したいと思います!
みなさん、床屋さんは一体いつごろからあるのか考えたことはありますか? なんと約800年前からあるといわれています。西暦で言うと1200年代(鎌倉時代)です。 例えるなら、ひいひいひいひいひいひいひいばぁちゃんが生きていた頃くらいですね。
その頃の髪型と言えば、侍の髪型を思い浮かべてください 時代劇でもお馴染みの『月代(さかやき)』が登場します。 前頭部から頭頂部にかけて頭髪を剃り上げたスタイルです。 もともとは、貴族が冠や烏帽子をかぶる時に頭が蒸れるので、額の髪を半月の形に剃ったことが始まりとも言われています。
ですが、剃るというより毛抜きで髪の毛を抜いていたようで、血が出ることもあったそうです。とても痛いですよねもちろん僕ははしたことないですが
そして江戸時代に入って、さまざまの髷(まげ)形を生んだ。しかし明治に入って、1871年(明治4)の散髪令により、月代の風習は廃れていったそうです。
理容室といえば「サインポール」その由来は?
中世ヨーロッパまで遡り、当時の外科の治療法のひとつ「瀉血(しゃけつ)」の手術で使用されていた赤い棒からきています。利用外科医の棒と呼ばれていたその赤い棒は手術後に、白い包帯と一緒にお店の軒先に干していましたが、風が吹いた際に包帯が赤い棒に巻きつき、その姿がサインポールの原形になっているといわれています。
17世紀以降に外科医と理容師が区別されるようになった際に使用師は青、外科医は赤白の色分けがされ、理容室の看板として使われるサインポールは赤・白・青の3色になったという訳です。
それでは少し飛んで昭和の床屋を見てみましょう!
昭和10年(1935年)頃「パーマネント・ウェーブ」の普及に伴い、ウェーブスタイルが大流行しました。
あの有名女優マリリンモンローの髪型が流行り当初のパーマは「電髪」と言われ加熱機器を用いたものでしたが、昭和24年(1949)年にはコールドパーマも始まっています。
昭和時代は期間が長いこともあり、さまざまなヘアスタイルの流行が生まれました。
昭和初期は大正に出現した「断髪」がさらに流行します。そして昭和10年(1935年)頃「パーマネント・ウェーブ」の普及に伴い、ウェーブスタイルが大流行しました。当初のパーマは「電髪」と言われ加熱機器を用いたものでしたが、昭和24年(1949)年にはコールドパーマも始まっています。
1940年代(昭和15年~)はマリリン・モンローなど海外の女優が人気を博していました。それに倣って前髪を大きくカールさせてアップしたウェーブスタイルがモダンとされ、おしゃれな女性はこぞってウェーブヘアになりました。
昭和29年(1954年)にはオードリー・ヘプバーンへの憧れから、ヘプバーンカットが大流行します。前髪が短いストレート、横は後ろに流すショートヘアで、初めてのショートヘアの流行でした。
その後昭和33年(1958年)に映画「悲しみよこんにちは」が放映されると、ジーン・セバーグの当時としてはかなり短いショートスタイルが「セシルカット」として流行します。
1960年(昭和35年~)にもショートの流行が続きます。イギリスのモデルツィギーのヘアスタイルをまねて、前髪を横に分けた「ツイッギーカット」や前田美波里さんがしていた、ショートスタイルにパーマをかけてもみあげをCカールにした「キスカール」が大流行しました。ちなみにツィッギーのショートスタイルはヴィダルサスーンがカットしたことでも有名です。今見てもシャープでスタイリッシュなヘアスタイルです。
オードリーヘップバーンで思い出したのですが、1953年の映画【ローマの休日】という映画の主人公のオードリーは映画の本番中にノーカットで散髪をするシーンがあり当時の人々に大きな影響を与えました。
1985年-1991年の間に起った【バブル】
その時代の髪型を見ていきましょう!
左はワンレンで、右はソバージュです!懐かしのW浅野もワンレンをしてましたね 今は絶滅してきていそうなソバージュもこの時代はたくさん見かけましたね!おっと僕はその時代生まれてもなかっただすね。
こんな感じで時代は今まで流れてきました このあたりで終了したいと思います!